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大阪高等裁判所 昭和26年(ネ)309号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用中、参加によつて生じた部分は補助参加人の負担とし、その余は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は原判決を取消す、被控訴人の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とするとの判決を求め、被控訴人は本件控訴を棄却する、控訴費用は控訴人の負担とするとの判決を求めた。

当事者双方の主張は、控訴人において本案前の抗弁として本訴は不適法であるから却下さるべきである、すなわち、本件訴願裁決書は昭和二十四年八月一日良元村農地委員会において控訴人から受取り即日被控訴人に転送し同月二、三日頃被控訴人において受領し、本訴はその後一月の出訴期間経過後に提起された、仮に右日時被控訴人において右裁決書を受領していないとするも農地の買収処分は農地の所有者に買収令書が交付されることにより完結しこれにより買収計画という準行政処分はすべて買収処分の中に吸収継承されるのであるからその後所有権者等は買収計画自体については争うことができないのであつてただ知事の買収令書による買収処分のみの取消変更を求めることができる、本件において被控訴人は昭和二十四年十月二十八日に買収令書の交付を受けているのであるから被控訴人において出訴の必要があれば右買収令書による買収処分の取消変更を求めその理由として買収計画の違法を主張すべきであつて本訴のように買収計画自体を争いそれに対する訴願裁決の取消を求めることはできない。仮に右訴願裁決の取消を求めることが許されるとしても被控訴人は右買収令書の交付を受けることにより被控訴人の訴願に対して裁決があり被控訴人の主張は却けられたことを知らなければならない状態におかれているのであるから買収令書の交付を受けた昭和二十四年十月二十八日を出訴期間の起算日として本件訴願裁決の取消を求めるべきであつて敢て訴願裁決書の受領をまつを要しない、したがつて右起算日から一月の出訴期間経過後に提起された本訴は不適法である、なお、被控訴人が訴願裁決書の再交付を受けたのは昭和二十五年一月十三日である、次に本案について本件土地は旧川崎航空機株式会社が工場敷地として昭和十九年頃買上げたもので同二十年春には本件土地の東隣には竹中工務店の事務所があり、東南隅の理髪店(建坪約三十坪)の東側に上組事務所(建坪十坪ないし十五坪)、北東隅に二階建(建坪約六坪)の某組の事務所が設けられた、その後空襲が激しくなり急に工場内の建物疏開が始まりその建具等を某組の事務所と道路を距てて北寄り通路沿ひに約六、七十坪のバラツクを建てて収容していて板囲は一部にすぎなかつた、又地上げは本件土地の東南寄りで全体の約六分の一(約八百坪)された程度でその他は所有者が買上げたまま放置されていたので工員や近隣の者が西半分の耕作し易い場所を選んで野菜を作つていた、そこで終戦後昭和二十一年早くも現耕作者等は西方で苗代を使用し水稲を作つた、もつとも昭和二十年七月頃の空襲により無数の爆弾が落ち地面に直径二間位深さ一間ないし一間半位の穴があつたがその翌年にそれを水溜りに使用するもの以外は埋めて整地をなし本件買収計画当時には完全な農地であつた、終戦後将来の見透しのつかなかつた当時においては本件土地所有者は一般に地元耕作者が耕作するのを放任していたのであつて所有者の意思に反して耕作されたものではないと述べ、補助参加人において補助参加人等は本件土地を現に占有耕作中の者であると述べ、被控訴人において控訴人の右主張に対し被控訴人が昭和二十四年八月二、三日頃に訴願裁決書を受取つたことはない、又仮に同年十月二十八日被控訴人が控訴人主張の如く買収令書を受取つたとしても訴願裁決に対し訴訟を提起し救済を求め得ることは当然であるし、当時被控訴人は訴願裁決書を受領していないのであるから訴願に対し如何なる裁決がなされたか不明であり裁決の理由を見なければこれに対し訴訟を提起する資料がない、したがつて右買収令書受領の時をもつて出訴期間の起算日とすることはできないと述べた外、原判決事実に記載のとおりであるからこれを引用する。

(立証省略)

理由

良元村農地委員会が昭和二十四年四月十四日被控訴人所有の本件土地に対し自作農創設特別措置法(以下自作法と略称する)第三条第五項第五号(昭和二十四年六月二十日法律第二百十五号により第六号に変更された)に該当する農地として買収計画をたてたこと、被控訴人が右買収計画に対し異議を申立てたが却下されたので更に控訴人に訴願したところ控訴人が同年七月一日附で右訴願棄却の裁決をしたことはいずれも当事者間に争がない。そこでまず本訴が適法であるかどうかについて判断する。

本訴が昭和二十五年二月八日提起されたことは本件記録によつて明かであるところ、被控訴人は右裁決書は昭和二十五年一月十三日被控訴人に送達された旨主張するに対し控訴人は右裁決書は同二十四年八月二、三日頃被控訴人に送達されている旨主張するから按ずるに成立に争のない乙第一号証(良元村農地委員会事務経理簿)には昭和二十四年八月一日右訴願裁決書を被控訴人に転送した旨の記載があるけれども、同号証中八月一日欄の他の記載部分に、成立に争のない乙第三号証、第五号証、当審証人松本憲三、松井梅吉、沢田茂の各証言を総合すると右訴願棄却の裁決書は昭和二十四年八月一日控訴人から良元村農地委員会に送付されたが、同委員会の係員がこれを当時の会長松下伊之吉方に持参し同人不在の為同人の妻に手渡したことがあるがその後右裁決書はついに被控訴人に交付されなかつた、ところがその後同二十四年十月二十八日右買収計画に基く買収令書が被控訴人に送付されたので被控訴人から右村農地委員会に右裁決書が未だ交付されないことを申向け裁決書の送付方を交渉した結果村農地委員会から被控訴人に裁決書の再交付を申請し同二十五年一月十三日再度控訴人から村農地委員会に右訴願棄却の裁決書を送付し同委員会から即日被控訴人にその裁決書を交付したことを認定することができる、右認定に反する乙第一号証の前記記載部分及び当審証人三宅定之助の証言は信用できず他に右認定を動かす証拠がない、すると右裁決書の交付のあつた昭和二十五年一月十三日から一月内に提起された本訴は適法であるということができる。控訴人は昭和二十四年十月二十八日前記買収計画による買収令書が被控訴人に交付されたからこれにより買収処分は完結した、したがつて被控訴人はもはや買収計画自体を争うことはできずただ買収令書による買収処分の取消変更を求めることができるにすぎない、仮りに買収計画自体を争うことができるとしても被控訴人は右買収令書の交付を受けることによりさきになした訴願に対し棄却の裁決があつたことを知り得べき状態にあるから右裁決取消の訴は右買収令書の交付を受けた同二十四年十月二十八日を起算日として提起されねばならない旨主張するから按ずるに被控訴人が右日時に右買収計画に基く買収令書の交付を受けたことは前認定のとおりであるが被控訴人が当時本件裁決書の交付を受けていない以上未だ本件裁決の効力が生じていないと解すべきである(訴願法第十五条自作法施行規則第四条第二項参照)からその前に本件買収令書の交付があつたからといつて裁決の効力の発生しない以前に遡り、被控訴人が右買収令書の交付を受けた日をもつて右裁決に対する訴訟提起期間の起算日とすべきでないことはいうまでもない。又買収計画についての裁決が確定していない以上右買収計画に基く買収令書が被控訴人に交付されたからといつて、右裁決の取消を求める権利を失うものと解することはできない。したがつて控訴人の右主張は採用できない。

よつて進んで本件土地が自作法所定の農地にあたるかどうかについて判断する。原審及び当審(第一、二回共)における検証の結果によると本件土地において米麦及び蔬菜が栽培されていることを認定することができる。しかしながら原審証人西村秀清、中村明、松井梅吉、瀬崎利雄、松下伊之吉、当審証人中村吉広、山崎作右衛門、堀下竜之介、北島仙太郎、山城金次郎、梶川徳造、梶本三治、林熊太郎、中田為蔵の各証言、原審及び当審(第一、二回共)における検証の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると本件土地は元、田であつたが昭和十七年頃被控訴人の前身である川西航空機株式会社が工場建設の目的で買収し低地を埋立て地均をして工場敷地とし一部には板塀を設け工員の理髪場、自転車置場、物置を建て一部には芝草を植え工場建設の準備をしているうち空襲が激しくなり本件土地も爆撃を受け右建物は破壊されて了い、その状態で終戦を迎えた。終戦後の混乱期に右土地がそのまま放置されているのに乗じ附近の居住者数十名が所有者である被控訴人の諾を承得ずして右土地に立入り各自所々に小区域を劃して数種の蔬菜を栽培し或は爆弾跡の窪地を利用し又は附近の水路から水をひいて米麦を作つているが耕作者の多数は農家でなく又右土地は食糧供出の対象とはなつていないことを認定することができる。右認定に反する当審証人足立庄右衛門、定本新一の証言は信用できず他に右認定を動かすに足りる証拠がない。以上認定の諸般の事実から考えると本件土地は一時的に休閑地を利用し食糧の不足を補つているにすぎないいわゆる家庭菜園の域を脱しないものと認められ未だ自作法所定の農地ということはできない。すると本件土地を農地としてなした前記買収計画はこの点で違法であるから右買収計画を容認して被控訴人の訴願を棄却した控訴人の前記裁決も亦違法である。したがつて右裁決の取消を求める被控訴人の本訴請求は正当として認容すべく、これと同趣旨の原判決は相当である。よつて民事訴訟法第三百八十四条第八十九条第九十四条第九十五条を適用し主文のとおり判決する。(昭和二九年五月二四日大阪高等裁判所第二民事部)

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